郡山聖ペテロ聖パウロ教会について

わたしたちの教会は英国聖公会(イギリス国教会)の流れをくんでいて、日本には1859年にアメリカ聖公会の宣教師によって紹介されました。日本聖公会は北海道から沖縄まで11の教区、約300の教会があり、立教大学をはじめとする大学、高校、小中学校、病院、社会福祉施設、幼稚園、保育所などと深いかかわりをもっています。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会は東北教区に属しており、郡山市の中心に位置する高台、麓山の地にあり、周囲は麓山公園、21世紀記念公園、酒蓋公園に囲まれ、郡山市公会堂、公民館、図書館なども近く にある閑静な住宅地です。郡山への宣教は明治36年、郡山駅前にあった郡山講義所がスタートで、それから111年経ちました。現在の聖堂は昭和 6年に 新築され、築後82年を経たゴシック風の建物です。

礼拝堂

牧師

牧師

牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

沿革

1902年(明治35年) 米国ミッションより派遣された宣教師J・アラン・クック司祭が会津若松に伝道を開始。
             その時から郡山にも出張伝道が始められた。
1903年(明治36年) 郡山講義所が開設される。燧田96番地(現在の郡山駅前)。遠藤里志氏がクック司祭により受洗。
             最初の信徒となる。
1907年(明治40年) 仙台からメードレー司祭が管理するようになる。講義所は燧田95番地に移転。

1908年(明治41年) 鯨岡寅吉伝道師によって、講義所に私立訓盲学校を開設。現在の県立盲学校の基礎を築いた。

1911年(明治44年) 郡山降臨教会となる。

1914年(大正3年)  稲荷町へ移転。ジョン・コール・マキム司祭管理。

1923年(大正12年) 郡山聖ペテロ聖パウロ教会と名称を変更。

1926年(大正15年) 麓山に土地を求めて移転。木造仮聖堂建築。

1931年(昭和6年)  7月、ビン ステッド主教指導の下、強化コンクリート造り、ゴシック型、建坪20坪の現聖堂を起工。
             ステンドグラスは チェコスロバキア産のガラスを使用。
             設計者は東京の上林設計事務所の聖公会信徒の上林敬吉氏。
1932年(昭和7年)  2月24日聖マッテヤ日に聖堂聖別される。

1941年(昭和16年) 第2次世界大戦勃発。宗教団体法施行される。

1942年(昭和17年) 宗教団体法施行により、単立教会の郡山聖十字教会と名称、規則の変更を余儀なくされる。

1944年(昭和19年) 中村信蔵主教聖別され、日本人主教が誕生。

1945年(昭和20年) 終戦。宗教団体法廃止され、郡山聖ペテロ聖パウロ教会に復帰。

1951年(昭和26年) セントポール英語会の開始。

1955年(昭和30年) 教会学校幼稚科の開始。(幼稚園の前身となる)

1956年(昭和31年) 宗教法人聖ペテロ聖パウロ教会付属セントポール幼稚園開園。

1976年(昭和51年) 牧師館を取り壊し、現在地に園舎を新築、翌1977年(昭和52年)落成式。

1978年(昭和53年) 司祭館を教会境内地に旧幼稚園舎の一部を取り壊して新築。旧園舎は教会会館として使用するようになる。

1985年(昭和60年) 教会宣教80周年・幼稚園創立30周年記念感謝礼拝。
             (この後、講義所の始まりが1903年であることから、宣教82年と訂正される。)

2011年(平成23年) 東日本大震災により、会館が全壊の判定を受ける。

2012年(平成24年)  会館取り壊し、全国からの支援により会館が新築される。

2013年(平成25年) 1月14日会館落成式。

2018年(平成30年) 国の登録有形文化財登録
             登録番号第07-0197号 日本聖公会郡山聖ペテロ聖パウロ教会聖堂 一棟

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